2009年9月18日金曜日

昭和の食卓


先日またしても秋刀魚を食べようと、夕方に仕事が終わるという友人も誘って、出勤前の早めの夕飯を家で作っていました。今は日が短い時期。5時過ぎくらいの夕暮れ時にテーブルセッティングをして、洗濯物を干しながら親しい人を待っていると、ふとおばあちゃんの家で過ごした子供時代を思い出しました。
おじいちゃんはまだ働いていて、夕飯の支度を手伝っていると6時頃帰ってくる。先にお風呂に入っている間にテレビの前の食卓にビールのグラスやらお刺身のお醤油(毎日マグロの赤身を食べてました)を用意する係は私でした。お豆腐屋さんがくると飛び出していって買うのも私の役目でした。母がサッサと離婚して(当時はまだ少なかった)シングルマザーになり私をしょっちゅう祖母の家に預けていること以外は典型的な東京の下町の風景だったと思います。そんな暮らしが大好きだったのに、東京に出てきたばかりの学生時代、2年ほどおばあちゃんの家で暮らしたときは全く別の感想でした。若くて、これからの人生に夢中だった私は、「なんて退屈な暮らしだろう。家事をしてテレビ見て。このまま死ぬまで同じ事をして/何もしないで暮らすのかな。気が遠くなりそうだ。おそろしー」なんて思ったものです。
でもその日、秋刀魚を焼く準備をして、大根おろしとお味噌汁とおひたしなんかはもうできていて、仕事帰りの人を待ちながら洗濯物なんて干して夕方の外気に触れていると、「ああ、おじいちゃんもあばあちゃんも若い時に沢山いろんな事があったんだ。だから年をとって穏やかに暮らせる事を大切にしていたんだ」と気づきました。そんな事に気づくほど、私も少しだけ大人になったんですね。何もおこらないように穏やかに暮らす事は、実はいろんな事を経験してからでないとできない事なんですね。

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