
えー、「お店のブログなのに関係ない事書き過ぎ」と人から注意されるので、最近気を付けて食べ物の事ばかり書いていたのですが、閑話休題といいますか、こないだ観た映画の話。
観た方も多いと思われますがまだ公開中の『空気人形』。最高!すばらしい!と手放しで言うにはあまりにもひっかかるところが多い映画であるにもかかわらず、気になってしょうがないのです。主人公のペ・ドゥナという韓国人の女優さんがあまりにも良かったので彼女の出ている映画のDVDをすかさず借りに行き(そして私と同じような人が多いらしく借りられず・・・)、サントラを買い、撮影監督のことを調べ、監督に質問してみたい事が沢山あるので頭の中で夢想し、「あ、既に誰かがインタビューしてるか」と当たり前の事を思い立ち雑誌を買って読んだりするくらい随分いれあげているわけです。ああ、作品というのは名作である必要はないんですね。なにか気になってお金や時間を使わせてしまうパワーがあるわけですから。
映画のテーマのように劇中で読まれる吉野弘さんの詩も、普段ならちょっと斜に構えて心に入ってこないだろうに、サントラに入っているペ・ドゥナの朗読を聞いているとホントに泣けちゃうというか。
吉野さんは『祝婚歌』という結婚式の時によく読まれる詩で有名な方だとか。
『祝婚歌』
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派過ぎないほうがいい
立派過ぎることは
長持ちしないことだと
気づいているほうがいい
なんて続いていく詩でして、私はわりと映画や音楽もそんなのが好きなんですね。
映画の中で引用される詩はこんなのでした。
『生命は』
生命は
自分自身で完結できないように つくられているらしい花も めしべとおしべが揃っているだけでは不十分で虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする生命はその中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ世界は多分 他者との総和しかし互いに 欠如を満たすなどとは 知りもせず 知らされもせずばらまかれている物同士 無関心でいられる間柄ときに うとましく思うことさえも許されている間柄そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ?花が咲いているすぐ近くまで 虻の姿をした他者が 光をまとって飛んできている私も あるとき誰かのための虻だったろうあなたも あるとき私のための風だったかもしれない